オルゴナイトは「オルゴンエネルギー」を集めて放出する装置です。
その「オルゴンエネルギー」を発見したのが精神医学者 Wilhelm Reich ヴィルヘルム・ライヒ博士。
ライヒ博士は1897年3月24日にオーストリアに生まれ、精神分析の父といわれるフロイトのもとに弟子入りしますが、「人間の持つ性的な衝動はオルゴンエネルギーであり、それは計測することができ、目で見る事もできるものだ」と主張し破門されます。
ライヒ博士が活躍していたのはいわゆる第二次世界大戦前後。
ユダヤ人でもあったライヒ博士はフロイトから破門にされた後、紆余曲折を経てノルウェーやアメリカへわたり研究を続けます。
オスロ大学で行っていた研究中に自然界に遍在、充満するエネルギー「オルゴン」の存在を発見しました。
ライヒ博士は「生物の体内で発生しオーガズム ORGASM(性的絶頂)で解放される性エネルギー、生命エネルギーだ」と主張していました。
しかし彼が活躍した時代(戦時下)において当然ライヒ博士の主張は受け入れられず、このオルゴンエネルギーは一般社会によって抑圧されました。
そして抑圧されたオルゴンエネルギーは、解放されることなく、私たち人間の身体の中に歪んだ形で溜め込まれていきました。
歪んだ形で溜め込まれたエネルギーは筋肉などの人体組織を硬直させるため、硬くなった筋肉をマッサージすることによってエネルギーの滞りを解いて行く「オルゴン療法」をライヒ博士は「生物学的オルゴン療法」と呼んでいました。
その後、ライヒ博士の学説に対する批判が巻き起こりアメリカへ。
1940年、ニューヨークからメイン州レーンジュエリーに転居。
支援者らの助力により、オルゴン研究所「オルゴノン」を創設。
ロバート・マッカローらとともにオルゴンの研究に取り組みました。
1941年には、アルベルト・アインシュタインにオルゴノスコープ(オルゴン拡大鏡)でオルゴンを見せています。
この研究所で作られたものとしては、オルゴン・アキュムレータ(「オルゴン蓄積器」、通称「オルゴン・ボックス」:無機物(金属)と有機物(木やウールなど)を何層にも重ねて作られた箱状のもの)や
クラウド・バスター(「オルゴン放射器」:雨雲にオルゴンエネルギーを照射し、雨雲を消し去ったり、雨を降らせたりすることができる装置)などが挙げられます。
オルゴンアキュムレーターの理論を更に進化させたものがオルゴナイトなのです。 一切の電源、動力も必要とせず、ただ箱に入るだけで病気が改善されていく・・・それが私たちが現在目にしているオルゴナイトの原型です。
オルゴンエネルギー集めたり、集めたオルゴンエネルギーを空に向けて照射したり、葛藤なくやりたいことに没頭していたのでしょう。様々な機器を使ってこのオルゴンエネルギー集め放射するなどの研究分野は、「物理学的オルゴン療法」と呼んでいたようです。
ライヒ博士は「オルゴン」を治療において応用し、「生物学的オルゴン療法」と「物理学的オルゴン療法」に分けました。
前者は、ライヒ博士がオルゴン発見以前から精神分析の応用として行ってきた「性格分析的植物神経療法」と同一で、実証性はともかく現代医学ないし科学と矛盾するような技術や理論は含まれていません。
後者はオルゴン集積器などを用いた実験的な治療で、ライヒ博士本人は、あくまで通常の治療には生物学的オルゴン療法を主体にすべきだと考えていました。
1954年、オルゴン・アキュムレータの販売はがん治療機の不法製造販売にあたる、とアメリカ食品医薬品局 (FDA:Food and Drug Administration) に訴訟を起こされました。
裁判所はオルゴン・ボックスの販売禁止と、ライヒ博士の全著作の出版の差し止めを命じましたが、ライヒ博士が命令に従わなかったため、1956年、連邦裁判所は、法廷侮辱罪に当たるとして2年の禁固刑および、ライヒ博士の財団に1万ドルの罰金刑を宣告しました。
ライヒ博士は上告し、保釈されましたが、1957年に収監。9ヶ月後の11月3日、コネチカット刑務所において心臓発作で死去しました。